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05/17/2004

ブラハ『バルカン・ラプソディー』

最近買った本二冊がバルカン関係の小説であるのは偶然だが、それでも本を買うということは概ねそういうことが起こり易いということでもある。ふとした興味関心が帯の釣り書きを読んだときに引っかかり易くさせているのかもしれない、などと思うのかも知れない。

この間読んだ、ヘモンの小説はサラエヴォからアメリカへ移住した主人公だったが、今回の『バルカン・ラプソディー』の主人公の父ははナチスの被害を逃れ、アメリカ市民となった。そして、ルーツ探しのために、正確には父の遺した書きかけの自伝的小説を完成させるために、父の育った町、スロヴェニアのマリボル(Maribor;帝国書院の地図帳によれば、人口10-50万人で首都と並ぶ大都会)を訪れる。

この手の小説にありがちな構成で、現在時間で主人公がなすことと、父の遺産の文章を基にした父の時代の描写が組み合わされている。現在時間はボスニア紛争であり、父の時代はオーストリアのハプスブルク帝国が消滅し、ナチスがやってくる。そして、人が死に、セックスする(死が覆っている小説で、セックスが入らないことがあろうか!)。

物語自身は引き込まれる感じがあるし、スピード感も気に入った(事実、今日の遠征の帰りの電車で読み切ってしまった)。それでも、一番気に入ったパッセージは実に最初の26ページ目であった。当たり前のことなのだが、「民族自決」などという意識が生まれたのは最近なのだ、ということに突き当たったので(文科系学生らしく、サックリ忘れていた)。長くなるが、引用:

「イグナツ・ドナールなる人物がおりました。さっきあなたのご指摘になったハプスブルク帝国時代のチェコ人で、父ヴィクトルの祖父、僕の曽祖父になります。君主制の頑固な信奉者だったそうで、そのせいで有名だった人みたいです。このイグナツ・ドーナルはしまいには帝国陸軍の現役少佐だか中佐になった。お分かりですか。たしかにチェコ人でしたが身も心も帝国に捧げた徹底的な軍人でした。一九一八年、最後の任地がマールブルク(引用者注:マリボルのドイツ名)だったんです。第一次大戦で帝国が敗れて崩壊したあと、彼は恩給生活にはいることも、グラーツ(引用者注:オーストリアの都市)の国防軍指令部連絡をとることも、いちばんの近道だったプラハのチェコ軍と交渉することもできた。だが、それをひとつもしなかった。以前から知り合いだったスロヴェニア軍のマイスター将軍を訪ね、スロヴェニア軍の制服を着て戻ってきたんです。しばらく経って新生「セルビア人クロアチア人スロヴェニア人王国」の軍隊にポルコヴニク(陸軍大佐)の肩書で勤務しました。理由はきわめてはっきりしています。”いかなる共和国にも仕えない”というものです。どうでしょう。共和国のために働けるかというわけです。チェコ人の彼は、ハプスブルク王朝がなくなったので、セルビア国王で我慢することにした。セルビア国王はなるほど単なるセルビアの王様に過ぎないが、国王つまり君主だったんです」

別に「民族」という概念が意味のない概念だなんて思わないし、それが抑圧的にしか働かないなんて思ったりしない。だけれど、それは歴史的な脈略のなかで生まれてきて、ある機能(どんな機能かすぐには判らないけれど)を果たしただけのものであって、ひょっとしたらその機能を果たし終えたら、「君主制」となどと同じように腐っていってしまうのかもしれない。そういう疑いのもとで考えることは、少なくともただのへそ曲がりとは違うと思うのだ。

原題の"Recherche"は「調査」という意味で、確かに日本語訳しただけでは中々内容が伝わりにくい、という訳者の意見を認めたとしても、この邦題はあんまりだ、と思う。更に、帯書きの「ミステリー仕立て」というのは完全にミステリーに対する認識が誤っている、と思う。ミステリ的ですらない、と思う。こういう細部をもう少し練ってもらえると、この本の魅力は増したのに、と思える。

  • パウル・ブラハ『バルカン・ラプソディー』佐久間穆(訳)。恒文社、1999年。

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    Kommentare

    「民族」については、リサーチトピックとも関係があるせいか、すごく気になります。20世紀初頭のバルカンって、国境の変遷とともに、国籍を複数持ってしまったり、逆にどこにも属することができない人がでてきたりしてたそうです。

    国籍と民族は違うものだけれど、「民族自決」によって国民国家をつくる原則が生まれつつあった時代でもあって、この地域だとそれが重なりがちなこともあるのですが。

    低国ではなく、帝国では?

    Kommentiert von: 笛吹き | 05/18/2004 um 00:11

    「低国」では冗句にもなりませんよね。大汗。

    国境の移動に関しては実に受験生時代の苦しい思い出と結び付いて個人化されています。例えば、トリエステは今回改めて地図を見ると、ものすごくスロヴェニアに食い込んでいたりしますよね。当然、このほんの中で、「ありゃスロヴェニアじゃあ」と言っている箇所があったりして。

    その頃の人口統計の話題も出ていて、それぞれの帰属意識が選択肢に収まり切らずに色々バラバラで、結局当局の良いように解釈されていく、などというところなんかは、その時代の「当事者」がどんな風に思っていたか、門外漢として面白いイメージでした。

    リサーチ・トピックとは全然関係ないのに、首を突っ込んでいるので、なんだかいい加減なもの言いですが、興味はあるので、色々教えて下さいね、笛吹きさん。

    Kommentiert von: かも@赤面 | 05/18/2004 um 08:22

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