08/05/2004

アンリ・カルティエ-ブレッソン亡くなる

共同通信の報じる[goo.ne.jp]ところによると、フランス南部で2日、写真家のアンリ・カルティエ-ブレッソン氏が死去した。95歳。


友人がかなり敬愛する写真家で、ふとした表紙に絵はがきを貰って以来、記憶に残っている名前である。きらさんの日記に書いてあったので、急いでニュースを探してみた。

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07/30/2004

「よろん」?「せろん」?

辞書をひいてみると、publich opinionの訳語として「輿論」という語が当てられて、それが「世論」と書かれるようになり、結局、それが「せろん」「せいろん」と読まれるようになったということらしい。この「輿」という字は、「こし・かご」であり、それが大地や世間一般を意味するようになったようだ。いつ頃から変化が起こったのかは、わからず。ちなみに、「世」の字で「よ」と読むのは訓読みで、「せ(い)」と読むのが音読み。

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07/29/2004

難しい漢字への抵抗感薄くなる

朝日新聞の7月29日付の記事より。文化庁が発表した「国語に関する世論調査」によると、「愕然」や「刺繍」というような常用漢字以外の漢字を用いることへの抵抗感が薄くなっている。同庁国語課によれば、パソコンや携帯電話などの情報機器の普及によって簡単に仮名が漢字に変換できるようになったことが影響しているという。しかし、一方で語句の意味を正しく理解しているかどうかを問うた問題では、「檄を飛ばす」といった設問で軒並正当率が低かった。


大嘘日本語を使い続けている身としてはやや身に詰まされている。兎にも角にも辞書をひけ、と。

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06/29/2004

「紋切り型」な翻訳

朝日新聞の6月29日付の記事によると、国語研究所がわかりやすい外来語の言い替え案として33語についての中間案を、29日に発表した。専門家の意見などを加味して8月に最終案を発表する。なお、継続審議としてきた「メセナ」、「データベース」、「オンライン」、「フォーラム」などは適当な訳語がなく、言い替えを断念した。


文脈から切り離して各語について言い替えを当てはめようとして破滅しつつあるとしか思えない「言い替え」プロジェクトであるが、今回も楽しいリストが並んでいる。今回は正直誤訳ではないか、というのも混じっているのがかなり気になる。例えば、「solution」の訳は「解決策・案」などのことであり、「解決」そのもののことではない。また「ボトルネック」と「障害」も対応しない。前者は後者に包含されるが、障害はボトルネックだけではない。また、ドメスティックバイオレンスはいわゆる「配偶者」間の問題ではない。普通配偶者という言葉は婚姻関係のある関係を言うのだけれど、それよりも広い関係性、例えばわたしが自分のガールフレンドに暴行を加えれば、ドメスティックバイオレンスに当てはまりそうな気がする。

こういったいちゃもんが付けられるのは、それぞれその語を勝手な文脈において考えることができるからである。言葉を言い替えるというのは全くそういうことを無視しているから、気に入らない。確かに、ある種の語は英語で言う必要がない気もするけれど、それも文脈の中で必然性のあるなしを判断するのであろう。

一番気に入らないのは、漢語(正しい中国語とは大抵関係ない)に訳して「日本語にした」とえばっているその態度である。字面でしか考えていないことが明白で、一度読み上げてみろよ、と思う。喋るにはまだカタカナの方がましだと思う。

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06/19/2004

思い出と学習

朝日新聞の6月19日付の記事によると、修学旅行中に国際機関などを訪れて「生きた社会勉強」をさせようという企図に行き詰まりが出ているという。説明を真面目に聞かない生徒が多い、ということが理由である。

JICAの本部には昨年度、中高生を含めて4349人が訪れた。3年前から急に数が増加したが、専門の対応部所はなく、職員の有志が講師役を勤めている。担当者によると、訪れる生徒たちの内で「事前に学習を済ませているのは全体の二割程度」という。


わたしの住む街は小学生から高校生まで比較的多くの修学旅行生がやってくるが、最近気になるのは彼らが「旅行のしおり」のようなものではなく、「るるぶ」などのガイドブックや、駅で売られているような観光地図を手にしていることである。班別自由行動はわたしの時代にも、そうであったが、しおりというものが存在し、色々なガイドブックとは異なる情報を手に入れて歩いたりしたのだが、最近はそういうことはないのだろうか。

国際機関の見学に際してそういうことがあるかどうかわからないけれど、教師陣が明らかに下見していないということがわかるのも気になる。例えば、狭い駅前に100人からの生徒を整列させて、延々と話をしていたり、生徒が歩道を埋め、お年寄りを車道に追い出した上、整列した生徒を見回る先生方が突然車道に飛び出したり…。一番ひどかったのは、班行動のチェックポイント(最近の修学旅行はオリエンテーリングみたいになっているのである)で先生がくわえタバコを道に投げていたこと。生徒たちが少々羽目を外すのは、見ていても微笑ましいし、自分の思い出も喚起されるが、教師のこういった態度は悪印象しか残さない。

少なくとも、ある程度綿密な下見は必要なのだろうな、国際機関に行くのだろうが、古都を訪れるのだろうが。

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